佐伯隆幸教授最終講義「演劇人佐伯隆幸とは誰なのか」

本日、学習院で佐伯教授の最終講義があった。
13時30分から15時ちょっと過ぎまで
多くの教え子や関係者を前に
個性的で熱狂的な講義をされた。

レミゼラブルの原典に時々当たりながら
刺激的でスリリングな講義は進む

メモをとっていたが、とてもとりきれるものではない
話は瞬時に限りなく広がりまた舞い戻る

おっしゃりたかったことはたぶんこんなことだと思う

演劇は全てを隠して全てを語る。
「仕掛けなんだ」、「虚構なんだ」というが、しかし、その虚構を
演じる以前がある(同時だけど)んだ、そこに「演劇人」はいる
役者なんて仕事に過ぎないが、その前の段階である演劇人は仕事ではない。
物語は一度それが虚構だと信じてもらってから成立する、そのために演劇人は必要なのだ。
もしその演劇人が最初から演劇の中に入ってしまっていたら困るだろう。演劇人は最初演劇の外にいるものだが
最近は最初から「これは仕掛けだ、虚構だ」といって憚らない状況がある。
世の中はみな虚構だというようにいう。
駅員は駅員という役を演じている。だれもがみなそんな感じだ。しかし、それはおかしい。
私は真面目にふざけたいんだ。ふざけるために真面目になるんだ。労働はふざけてはできない。
なのにみんなふざけてる。最初から。これは虚構だ、世の中は仕掛けだと言っている。
そうなったら終わりなんだ。
演劇は幸いに身体がある。身体があるから失敗する。
でもこの身体は本物だ。本物があるから虚構ができるんだ。
芝居の中では人が死ぬ。それはやっている人間が生きてるからできるんだ。
それが分かってない。

ありのままはない。でも等身大はある。その等身大が「千変万化」する。
それならいい。でも「ないもの」が千変万化するのが現代だ。
ポイントカードってなんだ。○○国屋書店でまでポイントカードを出すような時代だ。
ないモノが変化している。それではだめ。
近代が銘々した○○というものはないんだ。
役を生きるんじゃない。命がなくては演劇はできない。命がなくては学問はできない。
そのことを多くの人が忘れかけている。

というようなことを
先生独特の言い回しとユーモアで
語られた。

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