宮崎駿とニヒリズム

宮崎駿はいつからニヒリズムについて語っていただろう。
もうだいぶ前からなのだが
それがいつ頃かなのかは、
ある程度確定できるか?

宮崎駿については母親との関係で語られることが多いが
今度の作品(〈最後の作品〉、とまた言われている)では
父親について描かれるようだ。
岩波新書の「本のとびら」155頁に
〈父が死んで何年もたって、小津安二郎の「青春の夢いまいづこ」を観て呆然となりました。
主人公の青年が父とそっくりなのです。容姿も眼鏡があるだけで、
ものの考え方や行動がそっくりなのです。アナーキーで享楽的で、権威は大きらいな
デカダンスな昭和のモダンボーイの姿がそこにありました。〉
とある。そしてつづけて〈ニヒリズムの影がその底にあります。〉とつづくのだ。

〈僕らの課題は、自分たちのなかに芽ばえる安っぽいニヒリズムの克服です。〉

宮崎駿の言動は、3・11を、そして福島第一原発事故を経験した/ている
私達の多くにとって示唆的であるし、腑に落ちるもののように思う。

彼にとってのニヒリズムとの戦いはかなり前から始まっていたとおもうのだが
それが垣間見えた始めは「風の谷のナウシカ」ではないかと思っている。

〈ニヒリズムにもいろいろあって、深いそれは生命への根源への問いに発していると思いますが、
安っぽいそもは怠惰の言い逃れだったりします。〉
と宮崎が言う時、明らかにニーチェが下敷きにあると思う。
ニヒリズムの克服とはまさしく、ニーチェの抱えた問題を宮崎駿も抱えたことを示しいるし、
マンガ版「ナウシカ」の12年の彷徨はその辛く困難な道のりを示したものだと言えるだろう。

だから、今、「ナウシカ」も「On Your Mark」も「もののけ」も(その他の作品も)
3・11を外しては考えられないし、考えることはある意味ナンセンスだと思う。
彼が父親の中にみていたニヒリズムの正体。
そして彼が今、超克したいと思うニヒリズムの正体。
ナウシカがシュワの墓所に隠された人類の明るい未来をあえて潰さなくてはならなかったニヒリズムの正体。
そういった様々なレベルのニヒリズムを丁寧にたどっていくことが大切だと思う。

彼がマルキシストであったかどうかということもよりも
むしろ、彼がニーチェをどう読んでいた/るのか、の方が大きな問題のような気がしてならない。
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