ナウシカ前史

5月である。
早いもので、博論締め切りまであと5ヶ月を切った。
毎晩、心がヒヤヒヤして眠れない心境だ。

『ナウシカ』を書き始めるまでに宮崎が体験したこと。

「戦国魔城」のイメージを徳間の映像企画会議に出して
ポツになったこと。その時、原作がないものはダメ、といわれたらしいこと。
だったら原作をかきましょうか?と宮崎が言ったのか、ほかの人が言ったのか…
このあたりは定かではない。鈴木Pのこの辺に対する述懐は曖昧な気がする。

「ロルフ」のアニメ化を考えていたこと。
これが先方との意識の違いでボツになったこと。
ただこの企画のアイディアの中に「風使いの娘ヤラ」というのがあったこと。
どうも「ロルフ」をアメリカから買ってきたのは藤岡豊氏らしい。

「リトル・ニモ」の映画化が藤岡氏の企画であって
日米で進みつつあったこと。しかしオリジナルでは映画のストーリーとして弱いので
『美女と野獣』をベースにいろいろ宮崎が考えていたこと。
もっとも、方向性の違いで宮崎がテレコムを辞めてしまうので映画との関係は途絶える。
高畑勲も辞めている。
結果的に「ニモ」は興行的には失敗し、藤岡氏はアニメ界を去ることになる。

この頃「グールの王女ナウシカ」と「土竜とクシャナ」などのイメージが
できている。

この後、「原作を描きましょう」路線で『ナウシカ』の連載がアニメージュで始まるのだが
始めるに当たって宮崎が条件を出したことと、絵のタッチに何種類が試案があったことが
資料から読み取れる。

さらにここに「名探偵ホームズ」の伊国との関係も絡んでくる。

いずれにせよ、『ナウシカ』が始まるまでの'80~'82年の3年間
〈「カリ城」の不当たりで、仕事がなかった〉に
その後の宮崎の作品群にかかわる様々なアイディアが醸成されることになる。

もうひとつ地味な話題だがこのころ「シュナの旅」が完成している。
これが、実は頭の痛いところなのだ。

今まで書いた経緯からみると、『ナウシカ』はいろんなアイディアから生まれた
話で、実際には描き始めた段階では何も決まっていなかった。
つまりこれからどんな風になるか描きながら考える、と言った感じ。

だから、あの長期休載を4回繰り返すうちに起こった世界史的出来事が
その都度、作品に影響をあたえ、『ナウシカ』はできあがっていった、というのが
今までの説だったと思う。

しかしだ。先ほどいった「シュナの旅」の完成度の高さと、その内容は
明らかに『ナウシカ』6巻~7巻をある程度先取りしていると思える。
だから、その意味では、決して無策で書き始めた訳ではないし
たぶん、当初からある一定の方向性はあって、世界史的な出来事に
その都度翻弄されるように筋が変わった訳ではないと思う。

ところが、「シュナの旅」についての言及は
よく語る宮崎にしては殆どないのが現状だ。

また、「ゲド戦記」との絡みについても
「風の司」という作中の言葉に興味を持ち…ということは
書いているが、実際に『ナウシカ』とゲドの根本的なつながりについては
あまり語っていない。

あのよく語る人が肝心なことはあまり語っていないという、皮肉な現実だ。

『ナウシカ』はユーゴ紛争の影響を受けたのか。
はたまた天安門事件の影響を受けたのか。
きっと受けたであろう。しかし、それが、「人間は度し難い」という発想に至り
『ナウシカ』の終盤のどんでん返しに結びついたのか、というと
私はあまりそう思えない。

むしろ、あのどんでん返しは「シュナの旅」の中に萌芽としてあったように思う。
そこで、私が気になるのはマルクス主義より、むしろニヒリズムの方である。
根本的に宮崎はニヒリストである。マルキストの衣をかぶったニヒリスト。
母もある意味でニヒリスト。父もニヒリストだった。宮崎の戦いは
同じニヒリストでもそこに階層の違いを見出し、自分が母や父のニヒリズムとは
違うところに立脚していることを明らかにすることではなかったのか。

というようなことを考えている。
『ナウシカ』や『On Your Mark』に見え隠れするニーチェの影の方に
どうしても目がいってしまうのだ。

そしてこれは、院に入学する前からの私の一つの感覚で
いよいよそれをあと5ヶ月でまとめたいと思っている。
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この記事へのコメント

KK
2013年05月02日 07:28
1982年夏にハリウッドのアニメ界で大規模なストライキがありました。アジアへの下請け禁止を要求するユニオン(日本の組合と違って企業内ではなく業界全体で一組合)側と、それに応じないスタジオの連合との衝突です。で、組合が負けちゃったんですよ。それで日本にも下請け仕事がどっと入ってきた。

このストライキのとき、日本から宮崎駿らがロサンゼルスに飛んで、ディズニーのナイン・オールド・メンの二人オーリー・ジョンストンとフランク・トーマスのもとで講習を受けています。アメリカ進出の布線でした。

『ホームズ』のアメリカ進出はかなわず宮崎はテレコムを退社。『ニモ』監督を降板した高畑が宮崎に合流して『ナウシカ』映画化企画始動。

一方で出崎統チームによるテレビシリーズ『マイティ・オーボッツ』が全米放映網にのるという快挙を果たした。向こうの放送コードに合うよう事前に企画も脚本も向こうで練りこまれた番組でした。
KK
2013年05月02日 07:56
もうひとつ。
シュナがナウシカ最終巻を先駆けたとありますが、私はむしろ宮崎がネタ切れになったと考えます。過去のモチーフを再利用したのではないか、と。黒沢が『天国と地獄』を監督したとき、音楽の佐藤勝が「ああ、黒澤さん、守りに入ったな」と感じたそうです。あの後に集大成的な『赤ひげ』でしたね。

『もののけ姫』の映画用イメージボードをみると、どうみても土鬼の坊さんを和風にした代物に思えます。

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