「風立ちぬ」 雑感 つづき

「風立ちぬ」を見てから5日間
見た日の感動(のようなもの)は2・3日
じんわりと身体を温めていた。

それがやっと冷めてきた時に
何か腑に落ちない
変なものがもやもやと湧いてきた

7月20日の朝日新聞のインタビュー記事で
宮崎駿は次のように述べている。

以前は世界のためか人類のためか、何かしなきゃといけない、
と思っていたが、ずいぶん変わりました。
社会主義運動にも興味がなっかたわけではありませんが、甘かった。
かつて毛沢東の写真を最初に見た時、なんて嫌な顔だろうと思いました。
周囲が「大きく温かい人だ」と言うから、たまたま写りが悪かったんだ、
と思おうとしたけど、その勘を信じればよかった。
他にもいろいろ判断の間違いがありました。実によく間違える人間だと思います。


毛沢東の件は今までも言ってきたこととは言え
「社会主義運動にも興味がなかったわけではありませんが」というのは
正直面食らう。
はぁ、そうでしたか、と言ってすますこともできない。
ただ、このインタビューを読むと良く判る。
つまり、宮崎駿は、実は最初から「ここ」にいたということである。
組合運動をやり、「ホルス」をやり、「砂漠の民」を描き、『ナウシカ』を連載していた時も
実は、最初から「ここ」にいて、その後動いた(転向した)わけではないのだ。

「文藝春秋」愛読者の母・美子に論戦では勝つことができず泣いていた時も
たぶん「社会主義運動」という意匠にはこだわっただろうが
心のありかは、母親と同じところにいたのだろう。
そして、今年、文藝春秋に自ら対談記事を載せ、その中で母親と父親について語るという
「文藝春秋的立ち位置」にはっきりと立って見せた。

つまり、彼は昔から左でもなく右でもなく
ただ、庶民的な感情に支えられたややライトな立ち位置で
イデオローグとは直接は関係ない「美しい」物語を作る職人を目指していたのだろう。
それは、思想性とはまったくかけ離れたところでただ単に「美しい飛行機」を作ろうとした
(と自ら解釈する)堀越二郎と同じである。
そして、そこに堀辰雄をブレンドして
あとは「美しさ」で文句も言わせない、見た人のある種の思考停止を促すような
そういう映画を撮りたかったということなのだろうと思う。

私が博論で書こうとしていたことを
この人は、自ら全部この夏に言ってしまった。
だからもう『ナウシカ』を通して、私がいちいちあげつらわなくても
本人がこういってます、と言えば終わりである。

ソ連邦解体も天安門もユーゴ紛争も実はいらないのだ。
もともと宮崎駿は、「ここ」にいたのだから。
画像

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この記事へのコメント

KK
2013年07月26日 10:21
>見た人のある種の思考停止を促すようなそういう映画を撮りたかったということなのだろうと

未見ですが当たってるような気がします。

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