文化人になりたくない、町工場の親父でいたい


宮崎駿は言っていた。
彼の言とは裏腹に
文化人として扱われることも多い。

しかし、それ以上に
宮崎駿自身が
文化人と見られるような
姿勢だったこともあった。

本人の口からこういう言葉が出るとはいうのは
意識があるのかもしれない。

宮崎の軌跡は、まさに「文化人」と「町工場の親父」との間の
振幅の歴史でもあったと思う。
政治的な発言もあった。
文化論も教育論も防衛論もあった。
宗教観や自然観についての発言もあった。

彼の中で職人としての自分と
文化人としての自分が相克する時代が長く続いた。
マンガ版『ナウシカ』では微妙なバランスで折り合いを付けた。
『もののけ姫』ではそのバランスがうまくいかなかった。いかなかったことが
アニメ史に残る問題作として記憶されることになった。

その後、この二つの宮崎駿は次第に
振幅を小さくし
葛藤も小さくなっていった。

その着地点は
思想性を脱色し
ただ「きれいな飛行機」を作りたかった男の話を
ただ「きれいなアニメ」を作りたかった男が
作るという場所だった。

若い頃、マルキシズムで理論武装をしていた宮崎は
実は生活実感に基づく
職人的感覚に根ざした
アニメーターだった。

自分がその文化人の鎧を
いつ下ろすことができるか
ということが
マンガ版『ナウシカ』以降の過程だったと
私は思う。

でも今の日本にあって
こんなに文化人的な町工場の親父はいない。
というか、宮崎駿が町工場の親父なのなら
日本に文化人なんてもう絶滅しているのではないだろうか…


画像

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック