鑑定士と顔のない依頼人 雑感

昨日、「鑑定士と顔のない依頼人」を見たので、一言。

この映画が好きか嫌いかということではなく
ちょっと気づいたことを述べる。ネタバレもある。

この芝居は、鑑定士が詐欺に遭うという話である。
ただし、絵画での詐欺ではない。恋愛である。
この大仕掛けな罠には
少なくても4人の男女が関わっている。
一人は鑑定士と長年ペアを組んでいた絵描き。
彼は絵の才能は全く評価されなかったが、オークションで
やすく競り落とす手伝いを鑑定士のためにしていた。
どんな機械でも修理してしまう青年。彼は「恋愛」についてのアドバイザーでもある。
次にその青年の彼女。黒人の女性で、この青年が女たらしの浮気ものだと鑑定士に告げる。
最後は、顔のない依頼人。途中から大変美しい容姿を見せて、鑑定士を恋に引き込む。

さて、何がいいたいかというと「劇中劇」という話である。
ネットでいろいろ覗いてみたがこのことに触れている人はいなかったので
述べたい。

最後になって、鑑定士が騙されていたということが明らかになる。
するとそれまで上記の3人がしていたことはみな鑑定士を陥れるための芝居だったということになる。
ところが、映画という仕組みで考えると
芝居の中で芝居をしているという構造である。
ただ、そういう設定は、沢山今までもあったし、多くの映画になにかしらの形で出てくるものだ。

この映画の他の映画と違う所はどこだろう。

例えば「どんでん返し」のある映画といえば「スティング」などを思い出す。
「スティング」では半分は客にこれはお芝居ですよ…と教えておき、肝心な所は
教えていない。ゆえに、最後のどんでん返しで観客が「やられた!」という気分になり
それが爽快感につながっていい後味になる。
この系列にあるものは皆そういう構造である(「オーシャンズ11」など)

しかし「鑑定士と…」はそうなっていない。
つまり、観客が秘密を知って見るというシチュエーションコメディ的な部分はない。
だから鑑定士が騙されるのと同じレベルで観客も騙されるような気持ちになり、後味が悪い。
騙される者を客観視出来ない仕組みになっている。
なので「たぶんこういう展開になるぞ」と後半わかっていて、その通りになっても爽快感などは
やってこない。

全てが明かされてから、あれは「芝居」だったのかと、観客が振り返る。その過程は
鑑定士も同じである。つまり、「劇中劇」でありながら、それと気づかないゆえに
観客は主人公に同化するしかないのであり、最後の種明かしから
主人公と同じように遡らざるを得ない。その部分が、
映画では最後の部分、時制がやや混乱する、最後の様々なカットバックの続くシーンになる。

考えてみると「劇中劇」の値打ちは、それが劇中劇だと(客が)分かっている点にある。
しかして、今回のこの映画は、その点を裏切っているというか、セオリー無視をしているわけで
何とも言えない後味は大方はこの部分から出ていると私は思う。

惨い話である。
それでも、人間として恋愛を知り、挫折を知った鑑定士は、それまでよりもマシな人間になった
とでもいうのだろうか。まぁ、こういった部分はこの映画の好悪に関わることだ。

ただ、種明かしから遡ると、この「劇中劇」には不可解なことが多い。
(たとえば、鑑定士が暴漢に襲われたとき、広場恐怖症の女が躊躇しながらも、鑑定士の元に
走るという場面があるが、そういった女の葛藤や躊躇をあそこまで演じる必然性はない)
だから、やはり、ミステリーというには少々難があるというか
そういうものではないのではないか、という感じすらする。
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