白球 夢を追う-みやぎ・野球人の軌跡/高橋義夫 五十嵐直治

河北新報出版センター 2012.10.29  1050円

この本には宮崎県ゆかりの野球人が数多く紹介されている。
章立ては
第1章 大リーグ
第2章 プロ野球
第3章 仙台六大学リーグ
第4章 東京六大学リーグ
第5章 高校野球選手編
第6章 高校野球指導者編
第7章 社会人野球編

となっている。

実はこの本の第7章に
「北海道社会人野球の父-砂沢文雄氏」という記事がある。
この砂澤文雄というのは、私の祖父である。

祖父は、仙台一中で投手をし、その後、法政大学に進み投手で4番だった。
また最上学年時には主将を務めた。
この記事では、沢村栄治とバッテリーを組んでいた久慈次郎氏との
ライバル関係が記されている。
祖父は四大リーグ(後の東京六大学リーグ)で早稲田の久慈氏と顔を合わせ
また北海道の社会人野球でも対戦する間柄だった。

法政を卒業すると祖父は明治末に結成された札幌の最古参クラブチーム「札幌共和倶楽部」に招かれて
北海道に渡る。同じ頃、久慈氏は函館の「函館大洋倶楽部」に参加する。
昭和2年、第1回全国都市対抗野球大会に出場した祖父は30才ながらエースを務め
準決勝までコマ割進めた。当時の新聞には「老将砂澤投手」と書かれたと記事は紹介している。

戦後の昭和24年、実業団野球の新組織「北海道地方連盟」が創設されたとき
外地から戻った祖父は初代理事長に選ばれる。周囲から「ワンマン」「頑固」とも評されたが
よく組織をまとめ、その功労を評価され、第40回都市対抗野球大会(1969年)には特別表彰されている。
この年祖父は71才で他界する。なおライバルだった久慈氏は戦前に試合中に頭部に受けた送球のために
亡くなっている。

第45回全国都市対抗野球大会(1974年)に大昭和製紙北海道(白老)が優勝したとき
祖父の墓に黒獅子旗をもって墓参りにチームの皆さんが来てくれたことを
今でも思い出す。
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