一高演劇部 県大会への道19 健気

放課後会議があって
いけないかと思ったが
最後の15分くらい見ることができた。

今週土曜が本番だというのに
いるのは部員の役者3人だけ。
照明も音響もプロジェクタもいなく
蛍光灯の下で通しをしている。

気の毒で、かわいそうで涙が出そうになる。

来年は絶対身内で全て回す。
お手伝いさんというのはやはり
ダメだ。無理も言えず、遠慮するようだから
こんな目にあう。

本人たちには「健気だな」といっておく。

お手伝いさんは上野原では機能したが
一高ではダメだ。そもそも820人以上いて
部員が3人しかいない学校自体がどうかしている。

ま、なんと言っても後3日になった。5.JPG

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

KK
2019年11月13日 00:57
https://togetter.com/li/1429561
ある劇作家の姪っ子さん(15歳)による演劇論。すごく面白いです。
はやおとうじ。
2019年11月13日 09:13
KKさん。コメント有り難うございます
はやおとうじ
2019年11月13日 09:23
前川知大さんですね。
演劇における「干渉可能性」のとらえ方
が時代とともに変化していると思います。
それが「怖い」ととるか、
またある意味両義的に
「怖いけど面白い」ととるか、
「これがあるから良いのだ」ととるか、
どの時代でも様々な人がいると思いますが
現代の若い人は生なものは過剰すぎて
受け入れが苦しいのだと思う。
全てに薄膜を1枚かけて味わう感じかな。
戦後まもなく青年団運動が盛んになり
どの町でも民衆演劇が盛んだった頃は
こういう感覚はあまり無かったと思います。
ダイレクトな関わりが厳しい時代なんだと思う。
面と向かうのはもちろん電話でさえきつい
といいますから。
自分が音を立てたら芝居が壊れる
かも知れないという意識は私から見ると
逆に過剰ですが…
KK
2019年11月13日 16:22
「壊れてしまう怖さ」というのは私もちょっとよくわからない感覚でした。鑑賞が干渉にもなるのは物理の世界では有名なパラドクスです。今話題の量子コンピュータの原理もこれです。アインシュタインもついに理解できなかった難問。