『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』雑感

2012.3.10 ダニエル・L・エヴェレット  屋代通子 訳  みすず書房

アマゾンの奥地に住む400人ほどのピダハンの人々に
キリスト教の布教を試み、挫折し、
無神論者になり、さらに言語学者としてチョムスキーに
たてついたダニエルのドキュメンタリー。

発表当時、ピダハンのユニークさと
ダニエルのドラマチックな経験から話題になった。
あれから10年近く経過し、やや落ち着いた目で
眺められる時期になったのかも知れない。

数詞も色の名詞も持たないピダハン。
それどころか、ピダハンには現在しかなく
過去にも未来にも興味が無い。
ボディペンティングも羽根飾りもつけず
普通の姿で暮らすピダハンは、外部との
文化交流をせず、したがってピダハン語以外の
言語を語ろうとも覚えようともしない。
更に特徴的なのはリカージョン(再帰)がピダハン語にないという点。
この一点でピダハン語はチョムスキー言語学の仮説に反する言語として
注目されるに至った。

言語学的な状況論はよくわからないので詳述できないが
ピダハン語が出てきてもチョムスキー言語学は動揺しないという
見方もできるし、そうでもなく結構衝撃だったと解釈することもできる。

ダニエルは伝道師としてピダハンと何十年も暮らすうちに
自らの信仰を失い、そのため伝導どころかキリスト教徒であることまで
捨てた。そのため家族を失っている。マラリアになった家族を救うために
命がけで奔走した過去もあり、家族を愛していたであろうダニエルは
ピダハンとの生活の中で、その家族を失ったのだ。

ピダハンの生き方は現代文明を相対化する凄さを持っている。
それは読んでいて爽快でさえある。

ここ数年ブラジル政府が学校を建て、数を数えられる子供が
増えているそうで、ピダハンの文化はその言語とともに
消えて行ってしまうのかも知れない。
今までに何千という言語が消えていったように。

しかしそれは単なる一言語の消滅ではなく、人類の
現実の切り取り方、事象の分類の仕方の一つの型が
消滅することでもある。そのことの重大さはわかった。pidahan.jpg

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この記事へのコメント

KK
2020年04月28日 23:27
これは面白そうな本ですね。チョムスキーは嫌いです、役に立たないし。