主義に殉ずることができるか

オリンピックで感心したこと。
北島選手が直後のインタビューで泣いたこと。
四年前の怖いモノ知らずだった彼のMCとは全然違う。
彼自身の成長と、人には言えぬ数々の苦しみがあったことを感じた。

その前日の内芝選手のコメントも感じるところがあった。
息子に対して嘘つきにならないために金メダルをとる。
親父の仕事ができました、と今の世の中で
自然に言える人はいない。
「やっと男になれました」と言うときの
「男」は、フェミニストへの遠慮など考えていない
ある意味では時代錯誤的とも言えるほど懐かしく
べたな響きのあるモノだった。
そして、そういうモノが格好いいと思ってしまう時代なのだと改めて思う。
人間は複雑だ。
進歩的と言われる人が、実は古風なこだわりを持っていたり
博愛主義者の心の底に荒ぶる無差別殺人への屈折した欲望があったり…

主義に殉ずることが難しい時代である。

「風の送り(はやおとうじヴァージョン)」にこんな台詞が出てくる。

生きることはこんなにも楽しい、切ない…そう思えるようになった。
幸せを知ったら、私、信念にも愛にも生きられないってことに気づいたの。
私、もうこれ以上、分裂して生きることはできない。
あなたのことが好きよ、悟。でも私はやっぱり自分の信念に殉じたい。


人間が撞着に満ちた複雑で脆弱な存在だという
エクスキューズをせずに生きられる時代は幸せなんだろうか。

前回も書いたが戦車に素手で立ち向かい
「ここは富士の裾野じゃないぞ」と入っている銭形/ルパン=宮崎駿
のような人の方が遙かに幸せなんだろうと思う。現実的にどんなに
不幸せでも。

妻と子を守るために死ぬ、自分の主義貫徹のために死ぬ、
何でもいい、右でも、左でもかまわない
そんな風に、やせ我慢しながら、でも明快で分かりやすい
生き方を自然に当たり前にできる時代は
この国にはもう来ないのではないだろうか。

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