三井俊之氏逝去 

大学の帰り、満員の京王線の中で中村勉先生から
この訃報を知らされた。

山梨の演劇活動に貢献された大先輩である。
劇団演集の主宰であり、キープ綜合舞台の社長でもあった。

最後にお目にかかったのはもうかなり前の夏だった。
国立で毎年行われる全国総合文化祭演劇部門上位4校の上演会の日だった。
とても暑い8月の下旬、三井さんは車椅子にのって観劇にいらしていた。

関東大会が山梨であった1994年の1月
私は照明係として出場校とスタッフサイドを取り仕切っていた三井さんの
橋渡しのようなことをしていた
三井さんはなかなか難しい人で
こちらに手落ちがあってとても怒らせたことがある
その時の怖い感じが今でも鮮明に思い出される

反面、とても優しく面倒見の良いところもお持ちで
1995年に私が県高校演劇専門部の事務局長をしていた折
第一回の県下高校演劇部合同公演で
稲毛高校の「プリーズミスターポストマン~冬木立の子守歌」を
上演したさい、三井さんを訪ねて、菜の花の造花を貸していただいたことがあった。
岩窪のご実家の倉庫の中にたくさんあった大道具や小道具の中から
菜の花を貸していただいた時、三井さんはとても優しい笑顔だった

15年以上前の話だ
県の演劇活動を活発化させるために尽力された方が
また一人去られることはとても残念でしょうがない

心からご冥福をお祈りする。
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