バーナード・エヴスリン「ギリシア神話小事典」の中のナウシカ

宮崎駿はエヴスリンの「ギリシア神話小事典」の中の「ナウシカ」の
記述に惹かれて、その人物像のヒントを得たわけだが
その記述について少し紹介したい。

オデュッセウスの本編でさほど特筆されている感じもしない
ナウシカだが、エヴスリンの個人的な好みということもあって
持ち上げられている部分はあるのだろう。その熱意が
宮崎駿をさらに突き動かしたのかもしれない。

「ある伝説によると、けっして結婚せず
最初の女吟遊詩人となって宮廷から
宮廷をへと旅し、英雄の歌、とくに
オデュッセウスと、その恐ろしい
地中海の島々をめぐりながら
の冒険のかずかずを、歌い続けたという。
ナウシカは最後にイタケの
宮廷に至り、オデュッセウスの
息子テレマコスと結婚したともいう。
また、偶然であったある盲目の詩人が
彼女の歌の全てを編んで、ぼう大な歌の
つづれ織をつくり上げてくれたという話もある。」

このまとめ方は『ナウシカ』本編の
「語り残したことは多いがひとまずここで、物語を終わることにする。
この後、ナウシカは土鬼の地にとどまり、土鬼の人びとと共に生きた。
彼女はチククの成人後、はじめて風の谷へ帰ったとある年代記は記している。
またある伝承は、彼女はやがて森の人の元へ去ったとも伝えている。」
という記述を彷彿とさせる。

それにしても、この最後に出てくる「語り」の主は
物語の最中はどこで何をしていたのか。
『ナウシカ』における語りの問題はとても深い。
そして慎重に扱うべき問題でもある。

なぜなら、この語りが拠って立っている時制は
本編ではなるべく目立たないようにさりげなく
そして数も少なくしか登場してないからである。

語り残したことは多いといいながら
なぜナウシカのその後の足取りについては
年代記任せなのか
全てを知っているのか
実は知らないのか

この語りの主体はどの時代からナウシカを見つめ
その時地球はどうなっているのか
全てを知りながら、自らは語らないのである。
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