震災4年に思う

東日本大震災から今日で丸4年が経過した。

テレビで何本か特集番組を見た。
私の母親が、昨年の番組を見た時よりも
今年の方が辛かった、と言ったが
私もそう思う。

なぜだろう?

特に福島にまつわる話は悲しく辛いものが多かった。
故郷に帰ることを心の支えにしていた夫婦。
しかし、帰還の日は先送りされる。
家は、シロアリにやられて住めない状態に。
さらに、励まし合っていた夫が病死。
妻は後を追って自死してしまう。

様々な要因があると思う。現場にしかわからない
苦悩もあるだろう。みんなが思うようにことが進めば
それが一番いいのだが、そうはいかない、というような
事情もあるはずだ。

しかし、このやるせなさ、悲しさ、憤りはなんだろう。
何かが欠けているのではないのか、と思わずにはいられない。

昨年は「3年目」だった。3年という月日はなにか、一つの目安というか
まだ3年、もう3年、これから…という思いを持てた。

しかし、4年たつと「まだ」がやたらと目立つようになった。
そしてこの1年で多くの人が悲しみ、苦しみ、もっというと亡くなった。
だから4年と3年は1年しか違わないのではなく
それ以上の重さを持って、かなり、というか相当違う。

被災地以外の場所で震災のことが風化しているとよく言われる。
ただ、「風化」というのとも何か違う、なんともうまく言い表せていない
感じがするのだ。そしてそのなんとも言えないものが生み出している
「ズレ」というか「間の違い」というか、そんなものが
とても問題なのだと思う。

泥棒に入られて、家の中がグチャグチャになっている被災者の様子も
テレビでやっていた。何に希望をもって生きるのか。
放射能の問題があるかぎり、いつから大丈夫、とはきっとこれから先も
いうことは難しいだろう。

被災者の人は、この無念を誰にぶつけたらいいのだろうか。

そんなことを感じた4年目の今日である。
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